金子みすゞ全集「障子」
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金子みすゞさんのモダンで洗練された詩の印象。
        心の深いところにある、風格…
「見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。」
何度もこのフレーズを繰り返し、どのような「かたち」が、 「見えぬもの」みすゞさんのおもいを吹き込むことができすのだろう。 詩を創作され、お店番をし、結婚出産そして、決断。 まさしくこの地であったのです。
これからの「場」に対して、 存在の「間違っていないもの」であるのか。 何度も訪れました。「場」が、語りかけてくれるまで・・・。
  数案スケッチの中で、詩集(本)を開いた案がありました。 素材の選択に、資料から、24歳の夏に下関駅でみすゞさんに会った 西條八十氏が

    「容貌は端麗で、眼は黒曜石のように深く輝いていた。」

この言葉から、「黒御影=磨き」と決めたその時、 この案が動きだたのです。
      
*南アフリカ産のジンバブエからやってきた、真っ黒な黒御影石です。

  詩碑1
 
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 金子みすゞ(本名・テル)は、1903(明治三十六)年、山口県大津郡仙崎村(今の長門市仙崎)に生まれました。1923(大正13)年、二十歳のとき、母の再婚先である下関の上山文英堂書店本店に移り住み、詩を書きはじめました。わずか五年間に、万物へのやさしさを込めた五百十二編の作品をつづり、二十六歳の若さで亡くなりました。そのため、長い間埋もれていた三冊の遺稿集が、1982(昭和五十七)年、矢崎節夫氏により発見され、世に広く知られるようになりました。
  ここに、みすゞの詩の世界に思いをはせながら、散策を楽しんでいただくため、南部町周辺のゆかりの地に「みすゞ詩の小径」を開設しました。みすゞも、出発点となるこの地にたたずむ旧秋田商会の建物をながめながら、南部町郵便局のポストから、雑誌社宛の作品を投函したことでしょう。・・・
 どうぞごゆっくりお楽しみ下さい。
                   二〇〇三年 八月  下  関  市
   
   
 
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