明治時代から昭和初期にかけて日本銀行総裁、大蔵大臣、内閣総理大臣を歴任した高橋是清(たかはし これきよ)は、 日本銀行2番目の支店である西部(さいぶ)支店の初代支店長として、明治26年(1893年)に下関に赴任し、金融・ 財界人として歩み始めました。西部支店は、関門海峡を望むこの一角にありました。言うなれば、ここ下関は銀行家・ 是清誕生の地です。  日本銀行西部支店開設から120年目にあたり「下関と是清の縁」を長く記念し、偉業をたたえ、その功績を広く 後世に伝えるため、ここに顕彰碑を建立します。

略 歴
嘉永 7 年(1854年) 9月  江戸(東京)で誕生
明治26年(1893年)  9月  日本銀行西部支店長  10月 西部支店開設
明治28年(1895年)  8月  西部支店長離任
明治32年(1899年)  2月  日本銀行副総裁
明治44年(1911年)  6月  第7代日本銀行総裁
大正 2年(1913年) 2月  初の大蔵大臣入閣、以降7度にわたって大蔵大臣
大正10年(1921年) 11月  第20代内閣総理大臣 兼 大蔵大臣
昭和11年(1936年)  2月  「二・二六事件」により 現職大蔵大臣として死去(享年81歳)

  平成25年(2013年)10月 高橋是清翁顕彰実行委員会

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー顕彰碑表示面*引用



2013年10月27日午後2時。
高橋是清翁顕彰実行委員会会長・中尾友昭市長、ご来賓の皆様含め20名で、除幕されました。
ご祝辞は、日本銀行副総裁 岩田規久男氏の、是清翁の語り尽くせないたぐいまれな魅力の中から、
「忠節が上の頑固さ」を述べられ、高橋是清翁への溢れる思いのこもった語調が
、心に響きました。
幸田真音氏の「多くのエピソードから、何を書かないか」「是清の愛を描きたい」
瞳を美しく輝かされていました。下関市の今後の発展への期待を述べられました。

同日の 午後3時30分からの、春帆桜で、シンポジウムが催されました。
■来賓のごあいさつ/日本銀行副総裁 岩田規久男氏               
/「高橋是清 ―日本のケインズ その生涯と思想」著者 リチャード・J・スメサースト氏
■基調講演/直木賞作家 古川薫氏 /経済史家  鎮目雅人氏 「高橋是清 ―日本のケインズ その生涯と思想」(翻訳)
■パネルディズカッション/古川薫氏 / 鎮目雅人氏 /山口県史執筆委員 畠中茂朗氏 / 日本銀行下関支店長 水野正幸 氏
コーディネーター 下関21世紀協会  平野 貴昭氏(個人的に収集されていた 五十円券 持参!)
パネルディスカッションでは、岩田規久男氏、リチャード・J・スメサースト氏、ご登壇もあり、白熱の場となりました。



 
碑のデザイン案

日本銀行本店新築中の、建築所事務主として就かれ、それから1年後には下関市、日本銀行西部支店長就任と、
その「建築」という、下関市との、ゆかりの『はじまり』を、
「日本近代建築」のラインや、陰影が内在できるようにと腐心いたしました。
トップの「R」部分は、日本銀行旧館の、ホームページーのバーチャルツアー「地下金庫の部屋」のラインや
辰野金吾氏の愛弟子長野宇平次氏の設計やまぎん史料館旧本店建築の様子などから決めてゆきました。
表情と、ふくよかな容貌から「ダルマ蔵相」の愛称で呼ばれていたことも、現れていいですね。
実行委員会様のお言葉もありました。
史料館2階には「やまぐちの金融史を、たどる」パネル展示があります。詳しいご説明を丁寧にしていただきました。
同じ素材(黒御影石)を2体作製してから、一体化することで、立体感(陰影)を出しました。

最も重要な、碑の肖像は、実行委員会様の情熱とご尽力の賜物。
石材に彫り込む文字も実際の寸法でご検討いただきました。



日本銀行西部支店跡地は、現在の明治安田生命下関ビル敷地内。
ご厚意で植栽の中に碑が建立されています。
巨大なビルのエントランス。碑の背景には、タイルに淡いブルーにトリミングされた横のラインが続いています。
すぐ傍らにはステンレス素材の広告塔が聳えています。
碑の素材は、ビルの意匠に対して違和感なく、存在感あっても前にでない、品位ある質感を求めました。

□公益法人日本サインデザイン協会(SDA)|第48回SDA賞  A-1類地区デザイン賞

 
顕彰碑は、真正面に海峡を 臨んでいます。
観覧車も見えます。海響館もすぐ傍で、アクアシアターのアナウンスも聞こえてきます。
楽しい時を過ごしている笑顔が、いつも見える場所です。


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碑の背景上部にあるビルのタイルの素材で気づかれた方も、もしかしたら、いらっしゃるかもしれません。
平成23年5月25日山口新聞掲載の、第35回【高橋是清と下関】(日銀下関30代支店長 岩下直行氏)の記事にもありました。
1923年「金子みすゞ上山文英堂本店跡の記念碑は同じ敷地内の
山陽道側面にあります。上山文英堂本店と、日本銀行西部支店がこんなに近くです。
1893年、西部支店開設と、30年のひらきがありますが、当時の下関の様子、脈々と流れる何者かを感じます。
日本銀行下関支店長 水野正幸氏の「是清翁を下関市の歴史、観光遺産にしてほしい。」お言葉もありました。
可視になることで、未来の未知へ向う導入口が開かれました。

日本銀行下関支店ホームページ


 

「高橋是清翁顕彰碑」携わらせていただいたご縁を、心より深く感謝申し上げます。



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