タイトル
長州砲台の、案内モニュメントです。
1864年8月、この関門海峡で、アメリカ・イギリス・フランス・オランダの四国連合艦隊と日本の長州藩が戦争をしました。
この時の「長州藩の気概」を、モニュメントに表現しました。
海峡に向う、追い風と共にあるように、傾斜させています。 開口の円は、口径と同じ、23.5cmです。


第39回(2005年)SDA賞 A-1類 入選

80斤加農砲(長州砲台)

文久3年(1863)5月から6月にかけて、長州藩は関門海峡を通る外国船を5回にわたって砲撃しました(攘夷戦)。翌年8月、アメリカ・イギリス・フランス・オランダの四国連合艦隊17隻が報復のため下関にやってきました。海峡の最もせまい所に築かれたこの壇之浦砲台は、前田砲台と共に重要な役割を果たしましたが、連合艦隊に大敗し、すべての砲台が占領・破壊されました。外国の進んだ軍備にめざめた長州藩は、開国・倒幕へと転換し、明治維新を実現する原動力となりました。
 長州藩の主力となった加農砲(カノン砲)は青銅製の大砲で、球形の弾丸を発射し、目標を打ち抜いて損害を与えるものでしたが、連合艦隊の新しい大砲は距離・威力ともはるかにすぐれたものでした。
この大砲は、幕末に数多くの大砲を鋳造していた長州藩の安尾家に伝わる20分の1の模型(下関市立長府博物館蔵)を参考に、原寸大に復元したレプリカ(FRP製)です。砲身に刻まれた文字は、パリのアンヴァリッド軍事博物館が所蔵している、これとほぼ同型の長州製青銅砲の砲身を模刻しています。
                     [監修/古川 薫(直木賞作家)]下 関 市

The CANNON
At this place in August 1864, the combined fleet of America, Britain, France and
Holland attacked and defeated the Choshu-han Clan, which governed this region
of Japan. This event was a turning point in Japanese history toward the Meiji
Restoration and modern Japan today.
This CANNON is a replica of the one used by the Choshu-han during the battle.



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